TERIYAKI

2020年1月19日

日当を手に東京で食べ歩き。その衝撃に、店の玄関で倒れてしまったこともあります~堀江貴文VS.鮨職人 鮨屋に修業は必要か?【鮨一幸】~


こんにちは。テリヤキ編集部です。本日のコラムでは、テリヤキスト堀江貴文氏著書の「堀江貴文VS.鮨職人 鮨屋に修業は必要か?」の一部抜粋をお届けします。本日の対談は北海道・札幌にお店を構える『鮨一幸』の店主、工藤順也氏。

工藤順也氏

1981年、北海道札幌市生まれ。初めて鮨を握ったのは6歳のとき。創業者である父親のもとで修業を積み、他店で働くことなく、自身で食べ歩きを重ねて学ぶ。倒産も危ぶまれた店の窮地を救い、25歳で二代目となる。2013年、真駒内から、すすきのに移転。テレビ番組の『情熱大陸』で取り上げられるなど、全国的な人気を誇る。

工藤氏とテリヤキスト堀江氏の対談はどのようなものになったのか?!

鮨一幸】の店舗紹介はこちら

 

「日当を手に東京で食べ歩き。その衝撃に、店の玄関で倒れてしまったこともあります」(工藤)

 

堀江 工藤さんは、ここ(北海道・札幌市中央区)にお店を出す前はどこでやっていたんですか?

工藤 札幌市内の真駒内というところです。移転して、五年経ちました。

堀江 真駒内っていうと、自衛隊団地とか真駒内セキスイハイムアイスアリーナとか。

工藤 そうですね。

堀江 真駒内ではあまり流行らなかったから札幌へ、ということですか?

工藤 『鮨一幸』自体がもう35年経っているんです。

堀江 そうなんですか。じゃあ、工藤さんの前に何代かやってらっしゃるんですね。

工藤 僕が二代目なんです。そもそも真駒内は超高級住宅地なんですけど、子どもさん世代が出ていってしまうと戻ってこない。ひとり暮らしのお年寄りが多くて、そうなるともう活気は戻らないですね。

堀江 高齢化が進んでいるんですね。

工藤 もう下げ止まらないんです、売上が。いくら頑張っても上向きにならない。飲食店なので、急にドン!ではなく、毎年じわじわ下がっていました。

堀江 ちなみに、35年前にお父さんが作られたときは、今みたいなスタイルですか?

工藤 いえ、出前が中心で、いわゆる郊外にあるお鮨屋さんです。17、8で僕も店に出るようになって、眼の前で売上がじわじわ下がっていくわけですから、危機感を感じますよね。郊外だと、下がったものは戻らない。

堀江 なにか対策は練ったんですか?

工藤 自分で「2000円で一人前から出前します」と書いたメニューチラシを作って配りました。すると一時的には上がるんですけど、年間で見ると同じこと。食べた人はもう来なくなって、食べてくれる人は決まってる。一時的によくなっても同じなんです。

堀江 拓銀(北海道拓殖銀行)が破綻したのが1997年ですから、その頃から減っていったんですね。そのさなかに、お店に入られて。

工藤 そうですね。

堀江 真駒内にお鮨屋さんは何軒くらいあったんですか?

工藤 高級住宅街ですから、景気がいいときはかなりの数がありましたね。どんどん減って、最後は5軒くらいかな。このままじゃまずい、と思って、20代の前半くらいに、鮨を食べ歩いて道を探りはじめたんです。僕はその頃まだ日払いで、毎日3000円もらえたんです。それを貯めて、調べて、ここがよさそうだという東京の店に食べに行ってました。7、8年分の給料は全部それに使いましたね。

堀江 へえ~!

工藤 こっちは必死で貯めたお金を使うんですから、店は必死で選ぶし、食べるときはとんでもない集中力ですよ。「一瞬たりとも逃さない」という感じ。

堀江 まだ20代ですよね?

工藤 そうです。お鮨に衝撃を受けて、感動と驚きに腰が抜けちゃって、お店の玄関で倒れたこともありました。若いから感性も鋭かったんでしょうね。

堀江 それまたすごいですね。

 

鮨一幸

住所:北海道札幌市中央区南2条西5-31-4 スカレッタビル 2F

詳細:https://teriyaki.me/articles/5192

 

 

 

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